医療訴訟における死亡慰謝料
2022.10.31
患者が死亡した事案に関する医療訴訟において中心的な争点となるのは,病院側の過失(注意義務違反)の有無及び注意義務違反と死亡との間の因果関係の有無ですが,仮に過失と因果関係が認定された場合,次に問題になるのは,実際に病院側が賠償すべき損害額です。患者が死亡した事案において主に問題となる損害項目は逸失利益(死亡しなければ今後得られたであろう収入のこと)及び死亡慰謝料(死亡により生じた精神的苦痛のこと)です。そのうち今回は死亡慰謝料について取り上げます。
これまでの医療訴訟の裁判実務における損害賠償額の算定は,明確な基準はないものの,主として交通事故事案で使われる算定基準が採用されることが多かったといえます。すなわち交通事故は大量の事件について迅速な処理が要求されることから,ある程度,算定基準を画一化されています。そして,死亡慰謝料についても被害者の家族内での立場(一家の支柱であるかそうでないか)によって,2000万円~2800万円という基準が設けられています。そして,医療訴訟の死亡慰謝料の算定においても,医療訴訟独自の基準というものは存在せず,上記交通事故の基準が用いられることが多かったのです(もちろん,担当裁判官が個別の事情を踏まえ,上記の金額を上下させることはあります)。
しかし,裁判官や弁護士の中には上記のような医療訴訟における死亡慰謝料の算定の仕方に反対する意見もあります。
一つ目の反対意見は,医療事故の死亡慰謝料は,交通事故の場合に比べて高額にすべきという意見です。その意見は,交通事故は出会い頭で全く面識のない者同士が当事者となるのに対して,医療事故は病院側との診療契約を前提にした信頼関係がある中で発生するため,その信頼関係を裏切られた患者の精神的打撃は,交通事故の場合に比してはるかに大きいということを理由としています。実際に,裁判例の中には,上記のような医療事故と交通事故の性質の違いを述べて,医療事故における死亡慰謝料について,交通事故の死亡慰謝料よりやや高額にしたものもありますが,多数の裁判例は,そのような意見を採用せず,従来の交通事故の死亡慰謝料の基準通りに算定しているのが現状です。
二つ目の反対意見は,逆に,医療事故の死亡慰謝料(特に高齢者の場合)について,交通事故の場合(すなわち従来の実務)と比べて低額にすべきであるという意見です。この意見は,裁判官が書いた近時の論文において発表されました。その内容は,医療事故はもともと何らかの疾患を有し健康を害している者が被害に遭うのであるから死亡慰謝料は交通事故の場合に比べて減額すべきというものです。具体的には,病院側に責任がある場合の死亡慰謝料は200万円を最低限として,そこから個別の事情によって慰謝料額を積み上げていくべきとの意見です。
この意見については,別の裁判官から反論の論文が発表されています。その内容はおおむね「死亡慰謝料は人の生命は基本的に等しいものとして評価すべきである。そう遠くない時期に余命を全うするからといって死亡させても多額の賠償金を支払う必要はないというのは生命の尊さを忘れたものである」というものです。この裁判官は,何らかの特別な事情がない限り医療事故における死亡慰謝料は1500万円以上にすべきであると主張しています。
このような2つの裁判官の論文は近時発表されたものであり,今後の裁判実務に与える影響については注視していく必要があります。
死亡慰謝料は「命の値段」と表現されることもありますが,上記のように様々な考え方があり,形のないものを金銭で算定することには困難が付きまといます。もっとも,われわれ患者側代理人の弁護士としては,どんな事案であっても医療事故で亡くなった被害者の無念さや被害の重大性について被害者のご遺族からお話を伺うなどして改めて認識を深め,それを訴訟において裁判官に理解してもらう努力をすることが必要不可欠であると考えています。
会員弁護士 T.H