全身麻酔のはなし
2024.08.28
1 現代において,私たちは,手術や大きな検査の際に「全身麻酔」が用いられることを当然のことだと考えています。そして,全身麻酔は単なる準備段階の処置にすぎないとも思いがちです。
しかし,私たちは「麻酔薬にはどんな種類があって,どんな働きをするのか,麻酔科医はどんな仕事をする人なのか」についてあまりにも知らないのではないでしょうか。ということで,今回は「全身麻酔」について考えてみました。
2 医師が,患者に対して全身麻酔をかけるのは,麻酔薬のもつ「鎮痛・鎮静・筋弛緩」作用によって,手術や検査の実施を可能にするためです。
本来,体にメスを入れたり管を入れたりという治療は苦しいものです。その苦しさに耐えかねて,患者が暴れ出してしまえば,医師は安心して治療を行うことができません。
そのため,医師は患者に対して麻酔薬を投与し,痛みを軽くする「鎮痛」作用・意識を失わせて動かないようにする「鎮静」作用・筋肉の緊張を緩めて力が入らないようにする「筋弛緩」作用によって,患者の苦痛をやわらげ,動かないようにしたうえで,手術や検査を行うのです。
麻酔薬の種類によって作用が違いますから,通常,医師は何種類かの麻酔薬を組み合わせて投与します。
3 全身麻酔が現代の医療に必要不可欠な処置であることは間違いありません。
しかし,よく考えてみると,麻酔薬の作用によって患者は苦痛を感じなくなるかわりに「呼吸ができない(呼吸抑制といいます。麻酔によって呼吸に必要な筋肉が動かなかったり,気道が閉塞したりします。)」「血圧が下がった」状態に置かれています。
つまり,全身麻酔によって,患者の生命維持に必要な活動を極限まで低下させ,どうにか苦痛の多い手術や検査を可能にしているということですから,全身麻酔は,本当は危険な,怖い処置なのです。
4 したがって,患者に全身麻酔をかけて「麻酔管理」をする麻酔科医の仕事も責任重大ということになります。
ところが,患者が麻酔科医にお目にかかる機会はとても少なく,麻酔科医が実際に何をしているのか分からないという方も少なくありません(筆者もかつては「麻酔科医?手術前にふらっとやってきて,麻酔薬を投与してそのまま帰るんでしょ?」等と,大変失礼なことを考えておりました・・。)
しかし,実際に手術室を見学してみると,麻酔科医はベッドサイドのモニター前に陣取って患者の呼吸数や血圧などを逐一確認し,状況に応じて麻酔薬を足したり減らしたりと,大きな役割を果たしているのでした。
術中の患者の状態は不断に変わりますから,麻酔科医もそれを察知して,患者の生命を維持するため様々な手を打つ,麻酔管理は生命そのものの管理だといたく感心したことを覚えています。
5 ここまでお話ししたとおり,全身麻酔は,それ自体が大きな危険性をはらむ処置です。このため,ひとたび「麻酔事故」が発生すると,往々にして深刻な結果を招き,患者側と医療機関の間で大きな紛争に発展することも少なくありません。
不可抗力に近い事案もあれば,医療機関側の過失が認められる事案もあり,一口に紛争といっても千差万別です。ただ,筆者は,「麻酔事故」の相談をお受けする際,相談者に来られた方が「患者と麻酔科医がまったく顔を合わせていない,術前診察も受けていない」とおっしゃるケースが少なからずあることが気になっています。
近年,厳しい労働環境などもあって麻酔科医が不足し,大規模病院でも常勤医師を確保することが容易ではないというニュースは広く報道されています。こうした状況で,個々の医師が,患者とコミュニケーションを取ることが難しくなっていることは分かります。
しかし,それでも医療機関に対しては,術前に,麻酔科医から患者に対し,全身麻酔について十分な説明を行う機会,および,麻酔科医が患者の状況を十分把握する機会を確保して欲しいと強く希望します。
先に述べたように,患者は麻酔や麻酔科医のことをあまりにも知りません。麻酔科医と事前に面接し,麻酔の作用・副作用について十分説明を受けることで,避けきれぬ合併症についても理解することができ,無用な紛争をいくばくかでも避けることができるのではないでしょうか。
他方,麻酔科医も患者の状況を十分把握し,事前準備する機会を持つことが求められます。同じ箇所の手術でも,患者各人の既往症や全身状態によって適正な麻酔管理のあり方は異なります。各人の特性を考えず,同じような管理をすることが思わぬ事故につながることもあります。
患者と麻酔科医の相互理解により,よりよい医療が実現することを願ってやみません。
会員弁護士 T.T