医療事故の責任追及
2024.01.31
1 これまで数多くの医療事故の相談に乗らせていただきましたが、医療事故の責任追及って、そんなに簡単なことでも、費用がかからないものでもありません。場合によれば、損害を被った患者側に、大きな負担と、長期間の不安を強いるものです。
なぜ、そんな大変なことになるのか、以下ご説明します。
2 特別法の不存在
医療事故の責任を追及するための特別法などありません。
交通事故だと自動車損害賠償保障法という特別法が制定されていて、運転手側が自分に過失がなかったことを主張・立証できない限り責任が認められます。ところが、医療事故の場合はそんな特別法はありません。患者側が、医師側(医療機関も含みます。)に過失(落ち度)があって、その結果、患者に損害が生じたということを具体的に主張・立証しなければなりません。
3 過失の特定
医師側の過失(落ち度)とは、患者に損害を生じさせるようなものに限られます。
医療事故と思えるような問題を起こした医師・医療機関であれば、診療行為においても、やるべき事をやっていないという意味で過失があることは、少なくないかもしれません。しかし、医療事故の責任追及では、患者側は、医師側に、何らかの過失があったから損害を被ったと言うだけでは足らないのです。どんな過失があったから、そのせいで、患者がどんな損害を被ったのか、その具体的な内容や経過を明らかにしなければなりません。この過失内容の特定作業は極めて厄介です。なぜなら、我々弁護士も医療の専門知識を持たず、医療知識は日進月歩していますから。カルテや検査記録を収集し、専門家(主に現役医師)の意見を聞いて、この具体的な経過を調査し、過失内容を明らかにするだけでも、費用と時間がかかります。しかも調査しても、必ず損害発生に結びつく過失が見つかる訳ではありません。見つからなければ、かけた費用は戻って来ません。
4 因果関係
次に、特定した過失によって、高い確率で損害が発生したという関係(因果関係)も患者側が明らかにしなければなりません。
医師・医療機関の責任を追及するには、上記した過失があったため、患者の損害が、高い確率で生じたという関係(因果関係)を明らかにしなければなりません。自然科学では、原因と結果との因果関係といえば、原因から結果が生じる確率は限りなく100%に近いものが要求されています。しかし民事責任では、そこまで厳密なことは要求されません。原因から結果(損害)が生じたことが、十中八九の確率(高度の蓋然性といいます。)で間違いないと思える程度であれば良いとされています。とはいえ、この確率を第三者(最終的には裁判官)に分かるように明らかにすることはなかなか厄介なことです。医学文献によっても、医療の専門家においても、十中八九の関係のような中途半端な関係を、明らかにできるものではないからです。結局、最終的には、患者側、医師側から出た証拠や経過等を総合して、十中八九の関係であったかどうかが判断されることになります。
十中八九の確率とは、司法の世界では通常80%くらいの確率と考えられていますが、それ自体が分かりにくいにもかかわらず、その関係が認められない限り、損害との因果関係が否定され、上記の過失から生じた損害とは認められないことになります。70%や60%、あるいは50%の関係であれば、公平性の観点から少なくとも一部の責任が認められても良さそうなものですが、現時点では、全く認められていません。
とはいえ、例えば末期がんが見落とされた場合を例にとれば、そのがんが見落とされずにきちんと治療されていたとしても、そのがんが十中八九治っていただろうとはなかなか言えません。そうすると、過失と損害との因果関係がないことになり、医師側には全く責任がないことになります。しかし、この結果は、明らかに不公平です。きちんと治療してくれれば、治癒したかもしれないという患者側の期待権は明らかに侵害されていますから。
そこで最高裁はこのような場合、きちんと治療されておれば実際に亡くなった日にはまだ生きていた相当程度の可能性があれば、その期待権侵害については責任を認めるという判断を下しました。その後、この相当程度の可能性の理論は、重症例にも拡大され、相当程度の可能性についても、少なくとも10%以上の確率があれば良いとされるようになりました。
しかし、この理論で一部の責任が認められても、認められる損害は慰謝料的なもので、その額も、十中八九の確率が認められた場合と比較すると、わずか10%足らずのものが殆どです。このため、この段階で責任追及を諦める方も少なくありません。しかし、責任追及を諦めれば、それまでにかけた費用は結局、無駄になってしまいます。
5 示談交渉
何とか過失や因果関係が明らかになって医師側の責任追及に踏み切っても、それで安心することはできません。医師側が示談の話し合いに応じるかどうか分かりません。仮に、相手方が示談に応じたとしても、100万円の壁、1000万円の壁が控えています。100万円の壁とは、医師の賠償責任保険の免責額です。医師の賠償責任保険の免責額が100万円なので、その金額までは、責任を認めても認めなくても医師の負担額は変わらず、それならその範囲で示談ができるなら示談しようと医師側が考えるため、示談が成立しやすいのです。また1000万円の壁とは、責任を認めたとして損害額が1000万円を大きく超えていても、医師側が、医療訴訟の困難性を強調して、この程度の金額で解決を図ろうとするからです。
6 調停・訴訟
もし、示談の話し合いが出来なければ、残るは調停やADRと言われる裁判外紛争処理システムを利用するか、それとも訴訟しか解決策がありません。調停やADRといっても、医師側が過失や因果関係を認めなければ、残るは訴訟しか解決策がありません。これが最も厄介です。
7 訴訟
医療訴訟(正確には医療過誤訴訟)は、医師側に、患者側に損害を及ぼすような過失があり、それによって患者側に損害が発生したということを、明かにする訴訟です。上記の過失と因果関係という、専門家の協力が無ければ分からない事実を主張し立証する訴訟ですから、当然に内容は専門的で、提出する書面の量も多くなります。医師側から提出されるカルテの量も、1000ページを超えるものも珍しくはありません。特に近年は、医師側代理人として、医師の資格と弁護士の資格を有したダブルライセンスの人も増えてきましたので、医師側の防御も精緻になって来ました。また、なすべき医療行為についても、各種のガイドラインが作成され、年を追うごとに複雑になっています。専門家の意見として、患者側、医師側から意見書が提出されるのも日常的になっており、裁判所も簡単に鑑定を採用しません。近年は、鑑定採用例は8%未満です。裁判所も、専門訴訟であることから、大阪地裁では3ケ部の医事集中部を設けて、医療過誤訴訟を集中的に処理していますが、裁判の長期化は避けられない状況です。
会員弁護士 Y.A